個人情報の漏洩問題が、ニュースにならない日は少ない。SNSでの実名使用のリスクがまたもや議論を巻き起こすような時代になった。NIFTYがIPOするそうだが、かつて「パソコン通信」といわれたニフティサーブ(NIFTY
Serve)が隆盛を誇ったのが、約10年前のことだ。富士通と日商岩井の合弁で、アメリカのCompuserve との提携をしてスタートしたのが、現在の
NIFTY の前身の会社である。会員200万人を擁し、全盛を誇ったときは、奇しくもインターネットが日本において商用サービスを開始したころだ。ニフティサーブは、全盛を誇っていたがゆえに、インターネットとWebの登場に対して乗り遅れるような形になり、富士通の100%
子会社となって再起を図り、IPOして再度富士通から独立していく道を歩もうとしている。確かに当時の200万人の会員がどの程度のかかわりがあるかはわからないが、200万人の有料会員から課金徴収をする仕組みがビジネス上は確実にメリットがあり、現在につながったのは確かだろう。
今回の話は、そのビジネスの話ではない。
ニフティサーブ全盛期には、フォーラムという枠組みがあり、フォーラムオペレータ(一般には
Compuserve の用語を使い、SYSOP-シスオペと呼ばれた)が世話人をして、それぞれのテーマごとにコミュニケーションを行っていた。やっていることの本質は、いまのSNSと大差ないと思う。会員制の閉鎖システムであり、会員以外は、見ることができないという点では、現在の閉鎖型SNSである。運営会社との課金契約のもとに利用が行われているので、運営会社によって利用者の実体は把握されていると言ってもよい。
しかし、会員同士のコミュニケーションにおいては、実体を明らかにする必要はなく、自分自身のプロフィールとして実名、実体の情報を開示するかは任意である。しかし、たしか、電子メール(会員相互の)を送った場合には、実名のみは相手に伝わったと思う。
利用者は、フォーラムに利用登録を行うときには、SYSOPの入会許可を受ける。大半のフォーラムでは、よほどのことがなければ入会は許可された。SYSOPは会員のアクセス時間に応じて、運営会社からロイヤリティを受け取る契約になっており、当時最高にアクセスの多かったWindowsフォーラムなどでは、月額一千万円を超えるロイヤリティが支払われていたと思う。私も、当時SYSOPをしていてだいたいベスト10には入っていたので、当時勤めていた会社の給料の数倍の収入があった。ただし、こうした収益を上げているフォーラムは一握りであり、多くのフォーラムはSYSOPに与えられる無料のアクセス権と通信料金の補助程度のロイヤリティがインセンティブであった。
SYSOPはそれでもフォーラムがそういう収入を得るための場であり、かつ一定のアクセスを一定期間内に達成しなければ、廃止されてしまうので、顧客の獲得に努め、顧客であるアクセスする人にメリットがあり、快適に利用できる努力を払う。まずは、その分野の専門家であることは確かだが、コンピュータやネットワークと無関係なコミュニティを形成するフォーラムの場合、たとえば上位の常連であったスキーフォーラムなどでは、スキーツアーなど実社会でのサービスのコーディネーションなども熱心に行っていた。俗にオフ会といわれたが、これはオンラインに対してのオフライン会の意味で、実際に実体たる人間が会して行動を共にする集まりである。ニフティサーブではオフ会は盛んに行われ、「オフライン祭り」と冠したイベントも年に1度行われ、SYSOPの実像に接することができ、会員相互の交流を深めた。
当時も、実名、匿名に関する議論は非常に活発に行われた。匿名による弊害である事件もいくつかはあったと記憶している。運営会社が富士通系であったために、富士通の社員や、関係者も多く、オアシス(日本語ワードプロセッサ)のユーザサポートグループなどにも利用されたために、業務として利用している人もいた。一つにはこうした文化が未成熟であったがゆえに、業務と私的利用とのさかい目があいまいであり、ルール作りも不十分であったという事実は否めない。
しかし、個人のアクティビティと、会社に所属する構成員としての関係は、社会人としては注意すべき問題で、昨今の飲酒運転問題等で、飲酒運転は解雇が相当という流れになっていることにも見られるように、組織に対して不利益を与える行為全般が組織から排除される要因となりうるということも心得ておくべきことだろう。
ニフティサーブの時代は、SYSOPが収益を得るために自身の運営するフォーラムの質を維持、向上させることに努めたし、また当時は、オアシスユーザのサポートなど、むしろ現実社会の補助となる便利な道具という側面が強く意識されていたと思われ、独立した仮想社会を形成するという概念はまだ大きくなかったと思われる。
現在のSNSにおいて形成されるコミュニティ自身はどうなのだろう。現在のSNSでは、特別なインセンティブがない場合が多い。WebやBlogではアフィリエイトによるインセンティブを得ることができるが、この場合やはり作り手が相当な努力をしなければならない。
コミュニティ自身も一組織であると考えれば、快適なコミュニティを維持するためには自身の所属するコミュニティに不利益にならないように構成員が心がけなければならない。また、IDやハンドルネームを持つ書き手に対しての評価は、まず書いている内容、提供している情報、話題に対して行うべきで、その人が何者であるかは二の次でなければ、こうしたコミュニケーションは本来成り立たない。もちろん書き手のバックグラウンドが判れば、信頼できるものであるかどうかはある程度、即座に評価できるが、そうでなければ一定の期間、一定の量の書いたものを読まなければ分からない。しかし、そうしたプロダクトのみで評価されるということが本来あるべき姿で、実社会においても実は同様である。実体の実社会における実績を持って仮想社会において地位を築くのは容易ではあるが、結局最後は同じことであり、書いたもの、アウトプットが評価され、しかるべきアウトプットが出なければそれこそ実社会でも仮想社会でも評価は低くなるだけだ。
出入り自由なバーチャルなコミュニティに入る時には、実社会のしがらみを一旦は取り払うことは可能だし、何度も別人になることもできる。しかし、それも社会を構成する以上、なんらかの自浄作用がなければ、崩壊はたやすいことだと思われる。
さて、私は当時のパソコン通信での実績を買われたかどうかはしらないが、インターネットとパソコン通信の電子メールを相互接続するというプロジェクトを行った。いまでこそ当たり前であるインターネットとの電子メール交換は、かつてはさまざまなルールの違い、文化の違いによって一大事であった。つながり、交換できることのメリットはデメリットを上回ったことは確かであり、社会に受け入れられた。
現在の携帯電話のメールもインターネットとつながっていることで大きなメリットを得ているが、迷惑メール(Spam)というデメリットも背負うはめになった。Spamの問題と、SNSの社会構成とはまったくことなる問題なのでこちらの議論は別にするとして、便利なコミュニケーションシステムが便利であり続けるためには、そうした視点が利用者に必要であり、その上でシステムがそれを支援できるものである必要があるだろう。
(吉村 伸)
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